カバ子の日記

生きていてくれるだけで嬉しい

【ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー】を読んで

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今週のお題「読書感想文」

ガネしゃんです。いつも見て頂きありがとうございます。

 

ずっと読みたくてやっと読めた本。

 

それは「ブレイディ みかこ」の

【ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー】

 

英国に暮らす主人公の少年は、優秀な小学校に通っていましたが、中学は「元・底辺中学」を選び進みます。

 

「元」とつくのは、少し前まで学力面で下でしたが、今は生徒1人1人に向かい合い、優れた教育をしているからです。

 

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
 

 

 

読みたかった理由

私がこの本を読みたいと思った理由は、主人公が娘と同じ「中学生」だからです。

 

日本人の母親とアイルランド人の父親を持つ主人公の中学生がイギリスという国でどんな考えをもって生活しているのか、イギリスに行った事のない私はとても興味がありました。

 

ようやく手にしたこの本は想像以上に、考えさせられてる1冊となりました。

 

自分の頭で考えるということ

主人公の男の子は「本当に中学生?」と思うほど考えがしっかりしていました。

 

以前に別の本で、海外では「考える力」を付けさせる授業が多いと書かれていました。

 

これは出口浩明さんの本に書いてあった事なのですが、

イギリスの保育園では様々な人種の子達が混在する中で、児童を一対一で正面から相対させるそうです。

 

「相手をよくみなさい。皆さんと同じですか?それとも違いますか?」

 

そして相手を替えてこれを全児童に何度も何度も繰り返す。

そうすると、児童は人間はみな違うということを自然に会得するのだそうです。

 

次に「相手の外見は1人1人違いますね。だったら中身、すなわち感じたことや考えていることは同じでしょうか?それとも違うでしょうか?」

 

「自分の感じたことや思っていることを言葉に出してはっきりと伝えなければ誰もわかりませんね」

 

こういったプロセスが完了したら、あとは野山で足腰を鍛えて、知識を詰め込めばいいんだと書かれてありました。

 

児童は自分の感じたことや思ったことをはっきり言える様に育っているから何の心配もいらないんだそうです。

 

実際にイギリスでの生活を元に書かれたブレイディみかこさんの本は「まさにこういうことか!」と思いました。

 

エンパシーとは何か?

知識が豊富でも「自分の意見」を言えないと機械と同じです。

 

私が一番気になったのは、中学校の期末試験に「エンパシーとは何か?」という問題が出るということ。続いて「子供の権利を3つ答える」という問題。

 

「エンパシー」日本語にすると「共感」「感情移入」

 

つまり「共感とは何か?」とテストに出たら…

 

日本の中学生達が答えると、どんな答えになるのだろう?

 

現在中学2年生の娘の中学校であるテストといえば、

知識のインプットをどれだけ理解しているかアウトプットすることのみです。

 

それが悪いわけではないですが、自分の意見を発する場としての授業やテストはありません。

 

主人公の出した答えに私は「なるほど」と思わず声にしてしまいました。

 

ネタばれになるのでこれ以上は言えませんが、

あなたなら、もしくはあなたの子供なら「共感とは何か?」と聞かれたら

何て答えますか?

 

「ある問題についてどう思うか?」

自分の意見を持っているということはとても重要だと思います。

 

イギリス中学校の罰則

もう一つ私が気になった事。それはイギリスの学校欠席罰金という制度です。

 

この罰則は地方自治体の公式サイトにも出ているそうですが、

罰金の理由(以下のような理由で子供が学校を休むと罰金が科せられます)

・学期中に子供を休暇旅行に連れていく

・子供の意思で学校に行かない

・6週間のうちに6回以上、出欠をとった後で子供が学校に来る

・子供が1学期に3日以上欠席する

こういった内容は初めて知りました。

 

これに辿り着くまでに、さまざまな問題があるのですが、沢山の経験を積んでいく主人公の生活を見ていると、日本人が目にする旅行先でのイギリス、テレビなどで放映されているマクロなニュースの奥には、さまざまな問題があるのだなと思いました。

 

 みんなと同じ事をしなければならなかった中学時代

私が中学2年生だった時の運動会、残暑が残る暑い日でした。

 

今では考えられないのですが運動会当日は、持ってきたお茶がなくなっても学校では水を使用してはいけないというルールがありました。

 

運動会も終盤に差し掛かった時、友人が軽い熱中症になり(記憶はあいまいですが、ふっとなってしゃがみこんだので)私たち5人はすぐ見つける事が出来なかった先生に声をかけずに、彼女を木陰に連れて行きルールを破り全員で水を与え、自分たちも水を飲みその場をしのぎました。

 

その後理由も聞かれずクラスの前で「約束を破り水を飲んだから」という理由で5人全員平手打ちされるという罰を受けました。

 

当時彼女に水をあげないままでいると、喉が渇ききっていた私たちや友人はどうなっていたのでしょうか…

 

また道徳の授業がありましたが「いじめはだめです」「いじめをなくしましょう」と一方的に先生が話すかビデオを見て宿題に感想文を書いて終わりでした。

 

1人ぼっちでいる子を作ってはいけないと、休み時間や修学旅行も先生が決めたグループの中で行動をしなければなりませんでした。

 

男子は丸刈り、女子はおかっぱで、毎月1回の頭髪検査や抜き打ちの持ち物検査もありました。

 

修学旅行前には持っていく下着さえもチェックされるという、明らかにおかしい持ち物検査もありました。

 

おかしいと訴えても聞き入れてはもらえませんでした。

 

自分の頭で考えた人 考えなかった人

知人に子供の頃から自分の意見がはっきりしていた子がいます。

彼女はピアノが大好きで、誰になんと言われようとピアノの先生になると決め、親の反対を押し切ってまで、信念を通しピアノに関する職につくにはどうしたらいいのか、自分で考え結果、ピアノの先生になりました。

彼女は言います。「もし」はなかったけれど、あの時ダメだったとしてもしっかりと受け止める事が出来たと。

 

もう一人は小さい頃から親の言う通りに暮らしていた女の子。親の言う学校へ行き親の言う夫と結婚し、それなりに幸せでした。

ところが、夫の事業が倒産し、生活が傾いてきたある日、突然彼女は、私は自分が行きたかった大学は親のせいで行けなかったと言い出しました。

彼女は言います。「あの時親が反対しなければ」

自分の意思があったなら、当時反対を押し切ってでも自分のやりたい道に行けたはずです。今からでも学べるのです。

彼女にその選択肢はありませんでした。

 

自分の頭で考える人は責任を押し付けません。

自分の意思がなかった人は責任逃れをします。

 

私は自分の人生は責任をもって生きていきたいと思います。

 

今の暮らしはこれでいいのかな?

今の高校や大学は自分が決めた学校?

誰かに言われたから?

 

 

自分の人生、自分で考えて決定権は自分である事を意識しながら日々生活していこうと常に思っています。

 

そして、この本の主人公と同じ中学生の娘や大学生の息子にも是非読んでもらいたい

一冊だと思います。