カフカの【変身】を読んでからカフカの事をもっと知りたいと思う様になりました。
そこで一番興味が湧いた本が【絶望名人カフカの人生論】という本です。
ネガティブ思考のカフカは予想をはるか超えたネガティブ思考でした。
- 絶望名人カフカの人生論
- フランツ・カフカ
- 頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)
- 絶望名人カフカの人生論のまとめ
絶望名人カフカの人生論
はじめに カフカの肖像いかに絶望し、いかに生きたか
本当に心が辛い時、必要な言葉は何か?
ある人はとても辛い時に、健康な方から「やまない雨はない」と言われたそうです。
その方は励まそうと声をかけてくださったのだと思います。
それが余計に辛かった。
しんどいのは「今」なんです。
だからもし誰かが同じ状態になった時、絶対にこの言葉は言わない様にしようと心に決めたそうです。
「辛い時も楽しい時もある」
本当に辛い時、しんどい時にこんな事いわれても全く入ってこないよ。
そう言われました。
健康だとつい、励まそうとしてしまいますよね。
心が辛かった時、うれしかったこと
ただただ一緒に泣いてくれた
ずっと背中をさすってくれた
何も言わず、側にいてくれた
辛い時は、その気持ちに寄り添ってくれる人
自分のつらい気持ちをよく理解してくれる人
これはとても気持ちが楽になります。
健康だと寄り添い方が、分かっているようで分からない。
それは当たり前です。
実際になってみないと、本当のつらさは分からないものだからです。
作者の頭木弘樹さんは、
ポジティブな名言はたしかに価値のあるものですが、心がつらいときにいきなり読んでも本当には心に届きません。
まずはネガティブな気持ちにひたりきることこそ大切とおっしゃっています。
カフカはあらゆることに失敗し、作品も完成したものがなくどれも未完成で、びっくりするくらいネガティブです。
それでもなぜか、カフカの言葉を読むとホッとする部分があります。
いったい、どんな絶望的な言葉を発しているのでしょうか。
各章から一つづつ、私が特に気になった「絶望的名言」をご紹介致します。
第一章 将来に絶望した!
他の人はやすやすとやってのけることを、自分はできない
たとえば、ここにAとBの二人がいて、Aは階段を一気に五段あがっていくのに、Bは一段しかあがれません。しかし、Bにとってその一段は、Aの五段に相当するのです。
Aはその五段だけでなく、さらに百段、千段と着実にあがっていくでしょう。
その間に通過した階段の一段一段は、彼にとってはたいしたことではありません。
しかし、Bにとって、その一段は、人生で最初の、絶壁のような、全力を尽くしても登りきることができない階段です。
乗り越えられないのはもちろん、そもそも取っ付くことさえ不可能なのです。
父への手紙
カフカの父への手紙を全部読んでみたいと思いました。
カフカが感じていた気持ちは誰にでもあるのではないでしょうか。
私にはあります。
「○○ちゃんに出来てなんであなたにはできないの?」
「○○ちゃんが出来るんやから、あなたもできるはず」
「みんな出来るんだからあなたにできないわけがない」
言い方は違いますが、「出来て当たり前」の前提で親や先生に言われた事ってありませんか?
「みんな」や「平均」これらの言葉が大嫌いでした。
子供の頃他人と比較された事で(私にはできないんだ)そう落ち込んでいた時にカフカの本を読みたかった。
「出来なくても良いんだよ。」
「ゆっくりでいいんだよ。」
そういう言葉が欲しかった人はたくさんいてる気がします。
私はカフカの様に説明する事が出来ませんが、カフカはとても分かりやすく文章で説明されています。(それを父親に読んでもらう事はありませんでしたが)
第二章 世の中に絶望した!
孤独さが足りない、さびしさが足りない
ずいぶん遠くまで歩きました。
五時間ほど、ひとりで。
それでも孤独さが足りない。
まったく人通りのない谷間なのですが、
それでもさびしさが足りない。
フェリーツェへの手紙
苦悩で心がいっぱいになると、人は今いる場所から遠くへ行こうとするそうです。
孤独を求めることで心が安まり、そうすることで、少しでも心の回復をはかっているのだそうです。
「一人にして欲しい」
一人になりたいのはそのためです。
第三章 自分の身体に絶望した!
心配がふれあがって本当の病気に
ぼくはただ自分のことばかり心配していました。
ありとあらゆることを心配していました。
たとえば健康について。
ふとしたことから消化不良、脱毛、背骨の歪みなどが気にかかります。
その心配がだんだんふくれあがっていって、最後には本当の病気にかかってしまうのです。
父への手紙
父への手紙に書かれている内容は、カフカが実際に父親に対してどう思っていたのかが分かります。
結局この手紙は父へは渡されなかったそうなのですが、もし父親がこの手紙を読んでいたら…と思うとその後、カフカと上手くコミュニケーションが出来たのかなぁと考えてしまいます。
自分に関心を持ちすぎると、かえってしんどくなる。
これも分かります。
一旦ニキビが気になると、目立たなくなるまでいろんな薬を試してみたり、治るまでありとあらゆる方法でいじりたおして、返ってひどくなったりした事があります。
考えれば考えるほど、堂々巡りでしんどくなってしまうんですよね。
考えても仕方がない事は考えないようにしています。
第四章 自分の心の弱さに絶望した!
過去のつらい経験を決して忘れない
ぼくは本当は他の人たちと同じように泳げる。
ただ、他の人たちよりも過去の記憶が鮮明で、かつて泳げなかったという事実が、どうしても忘れられない。
そのため、今は泳げるという事実すら、ぼくにとってはなんの足しにもならず、ぼくはどうしても泳ぐことができないのだ
断片
これも分かります。
一度出来た事があるのに、何か嫌な出来事があって、そこから出来なくなってしまうこと。
水泳を恋愛に置き換えると分かりやすい。
過去のつらい恋愛経験が忘れられず、実際に恋愛が出来なくなる。
トラウマ…ですよね。
作者は、カフカはそれが水泳レベルでも起きてしまうとおっしゃっています。
第五章 親に絶望した!
父親の前に出ると自信が失われる
ぼくはお父さんの前に出たが最後、まるで自信というものをなくしていました。
その代わり、とめどもなく罪の意識がこみあげてきました。
そのことを思い出しながら、ぼくはある作中人物について、「自分が死んでも、恥ずかしさだけが後に残って、生き続けるかのようだった」と書いたことがあります。
父への手紙
作者の解説によるとカフカは三十六歳の時に、父への手紙を書かれているそうです。
その長さがびっくりする位長くて、十日がかりで書かれた手紙なんだそうです。
タイプ原稿で四十五ページ、ドイツ語のペーパーバックで七十五ページもあるそうです。
手紙って多くても便箋に4~5枚かと思っていました。
しかもその内容はすべて父親への恨み事。
三十六歳になって、ようやくその恨み事を文章にして書けたカフカ。
三十六歳にもなって…と思われるかもしれませんが、言い返すと何を言われるか分からない。
何をされるか分からない。
言っても同じだという諦め。
これは性格にもよると思います。
相手に対して言えないのであれば、信頼できる友人や恋人に言って欲しい。
思っていることは、口に出して言って欲しい。
ムリなら、紙に書いて吐きだして欲しい。
そうしないとしんどい…
それが出来たら苦労しないよ。と言われそうですが…
それでも、声を大きくして言いたい。
思っていることは、その場で口に出して言おう。
ムリなら、紙に書いて吐きだそう。
そう強く思ってしまうのでした。
第六章 学校に絶望した!
何度成功しても自信は湧かず、ますます不安が高まる
自分は小学校一年も修了できないだろう、とぼくは思い込んでいました。
実際はそうなりませんでしたが、それでも自信は湧いてきません。
逆にぼくは、成功が重なるにつれて、最後はそれだけ惨めになるにちがいないと、かたくなに信じていました。
こんな状態で、どうして授業に身が入るでしょう?
どの教師が僕から向学心の火花を引き出せたでしょう?
授業に対するぼくの興味は、銀行で横領をした行員が、発覚を恐れてびくびくしながら、日常の業務をこなしているときの、心ここにあらずの状態と大差ありませんでした。
父への手紙
カフカの成績がよくなかった。
その一番の原因とは?
それは、カフカの思い込み。
「自分はダメにちがいない」
失敗した時は私にも結構当てはまるような気がします。
挫折したときに立ち上がる能力、楽観主義と自己意識を持ち続ける力って???
環境や子育ての影響は勿論ありますが、私はそれだけではないような気がします。
それは本人の性格。
持って生まれた個性をいかにうまく引き出せる子育てをするのか?
子供の個性を最大限に引き出せる親って少ないような気がします。
頭で分かっていても、性格はなかなか直せないものです。
いつの時代であっても子育ては難しい。
子供を想う気持ちが無意識に支配していたり、
親の価値観で話してしまいがちですが、子供を信じ、のびのびとさせてあげる事が何より大切なのかなと思いました。
それを実行出来ているのかは、別です。
どんなに頭で分かっていても‥
第七章 仕事に絶望した!
仕事に力を奪われる
ぼくが仕事を辞めれずにいるうちは、本当の自分というものがまったく失われている。
それがぼくにはいやというほどよくわかる。
仕事をしているぼくはまるで、溺れないように、できるだけ頭を高くあげたままにしているようだ。
それはなんとむずかしいことだろう。
なんと力が奪われていくことだろう
日記
やりたくない仕事をやっていく時は、本来の自分ではないのかもしれません。
それでも、多くの人はそうやって自分を殺して、その職業に就いて一生懸命になり、自分の夢をだんだんと忘れていくのかもしれません。
カフカは違います。
拒否はしますがそのために苦しんでいます。
第八章 夢に絶望した!
なぜ好きな仕事で身を立てようとしないのか
あなたはお聞きになるかもしれません。
なぜぼくがこの勤めを辞めないのかと。
なぜ文学の仕事で身をたてようとしないのかと。
それに対して、ぼくは次のような情けない返事しかできないのです。
ぼくにはそういう能力がありません。
おそらく、ぼくはこの勤めでダメになっていくでしょう。
それも急速にダメになっていくでしょう。
フェリーツェの父への手紙
作者の解説のように「そんなに仕事が嫌なら、辞めればいいじゃないか」と私も思いました。けれでもカフカには文学で生活費を得る自信がありませんでした。
そうです。
ここでもカフカの自身のなさがよくわかります。
この手紙は婚約者フェリーツェの父親に宛てた手紙だそうですが、勿論フェリーツェは父親にはこの手紙を渡していません。
それにしても、婚約者のフェリーツェはカフカの性格を分かっていた女性なのでしょうか。
2度も婚約をし破棄されているのに、カフカからの手紙を大切にしていたのは、それほどカフカの事が大切だったからだと思います。
第九章 結婚に絶望した!
「普通」にあこがれる
結婚し、家庭を築き、生まれてくる子供たちを育て、守り、少しだけ導いてあげること。
これこそひとりの人間にとって、この上ない成功です。
ぼうはそう確信しています。
多くの人々がごく簡単にそれをやってのけているからといって、そうではないという証拠にはなりません。
父への手紙
カフカは婚約をするも破棄し、結局生涯独身だったそうです。
カフカはとても優しい人なんだと思います。
優しすぎて、自分の事も相手の事も考えに考えて「どうせ」で終わらせてしまうんでしょうね。
第十章 子供を作ることに絶望した!
子供を持ちたいが、持てない
ぼくは、決して子供を持つことはないでしょう
フェリーツェへの手紙
カフカは心優しいので、子どもが好きな人だったと思います。
それでも、「どうせ自分には」とか「こんな僕が持つことなんて」とかって思っていたのかもしれません。
それでも子供を持っていたなら、人の気持ちが誰よりも分かる父親になっていたのかもしれません。
第十一章 人づきあいに絶望した!
人といると、自分の存在が消えていく
またいろんな人たちとムダな晩を過ごしました。
ぼくは彼らの話を聞くために努力しました。
しかし、いくら努力しても、ぼくはそこにいませんでした。
他のところにもいませんでした。
ひょっとするとぼくはこの二時間、生きていなかったのでしょうか。
そうにちがいありません。
なぜなら、もしぼくがあそこの椅子にすわって眠っていたのなら、ぼくの存在はもっとたしかだったでしょうから。
フェリーツェへの手紙
飲み会の場だったり女子会の場など、大勢の集まる場所で自分だけ話の中に入っていけない時ってありました。
その場にいるのに、自分の存在がいなくなってしまうような何ともいえない気持ち。
カフカのネガティブあるあるの表現は、とても分かりやすいです。
第十二章 真実に絶望した!
真実の道には、人をつまずかせる綱が
真実の道を進むためには、一本の綱の上を超えていかなければならない。
その綱は、べつに高いところに張られているわけではない。
それどころか、地面からほんの少しの高さに張られている。
それは歩いていかせるためよりも、むしろ、つまずかせるためのものであるようだ。
―罪、苦悩、希望、真実の道についての考察
同じドイツの文学者ゲーテは、「実り多いものだけが真実」と言っているそうです。
同じ真実でも捉え方の違い。
性格、個性。
結局は自分がどう捉えるか?なんですよね。
第十三章 食べることに絶望した!
極端な食事制限
夜、ぼくが食べないからといって、かわいそうな母はめそめそ泣く。
日記
カフカは健康のために、食べ物に対して注意していたようです。
食べ物か口から自分の身体に入れる物。
だから、ほんとうに身体の中に取り入れてもいいのか充分に吟味してから口にいれるそうです。
見た目や匂いで美味しそうと飛びついてしまう私には考えらません。
第十四章 不眠に絶望した!
眠れないし、眠りの質が悪い
今日はひどい不眠の夜でした。
何度も寝返りを打ちながら、やっと最後の二時間になって、無理矢理眠りに入りましたが、夢はとても夢とは言えず、眠りはなおさら眠りとは言えないありさまでした。
フェリーツェへの手紙
眠りたいのに、なかなか眠れずベッドで何度も寝返りを打つ経験は誰しも1度はあると思います。
カフカはそんな眠れない日々が多かったのかもしれません。
食べる事も、眠る事も出来ない。
たとえ成功したとしても、次は失敗するかもしれないと考える…
そんな毎日だと、とても息苦しく辛いですね。
第十五章 病気に絶望・・・・・していない!
骨折という美しい体験
いつだったか足を骨折したことがある。
生涯でもっとも美しい体験であった。
断片
作者はこう解説されています。
罪悪感が強く、自分を罰したいと願っている人は、無意識のうちに、自分にケガをさせようとしたり、病気にかかるようにしたりします。
そうして、ケガをしたり病気になったりすると、罰せられたことによって、心が安らぐのです。罪悪感が減るからです。
心の傷というのは目に見えない曖昧なもので、時間をかけてもなかなか順調に治っていくものではありません。
しかし、身体の傷ははっきりと目に見えますし、ある程度までの傷なら、時間とともにみるみる癒えていきます。
そこにカフカは美しさを感じたのではないでしょうか。
この心理には胸が痛みます。
そこまでして自分を追い込む必要があるのでしょうか。
フランツ・カフカ
フランツ・カフカ(Franz Kafka、チェコ語: František Kafka、1883年7月3日 - 1924年6月3日)は、現在のチェコ出身の小説家。
プラハのユダヤ人の家庭に生まれ、法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆した。
どこかユーモラスな孤独感と不安の横溢する、夢の世界を想起させるような独特の小説作品を残した。
その著作は数編の長編小説と多数の短編、日記および恋人などに宛てた膨大な量の手紙から成り、純粋な創作はその少なからぬ点数が未完であることで知られている。
生前は『変身』など数冊の著書がごく限られた範囲で知られるのみだったが、死後中絶された長編『審判』『城』『失踪者』を始めとする遺稿が友人マックス・ブロートによって発表されて再発見・再評価をうけ、特に実存主義的見地から注目されたことによって世界的なブームとなった。
その後もドゥルーズ=ガタリの著作などにもカフカに関する物があるなど、現代思想においても影響がある。
現在ではジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並び20世紀の文学を代表する作家と見なされている。
頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)
文学紹介者。筑波大学卒。
大学3年の20歳のときに難病(潰瘍性大腸炎)になり、13年間の闘病生活を送る。
そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫)を編訳。
他の編訳書に『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ』(草思社文庫)、『ミステリー・カット版 カラマーゾフの兄弟』(春秋社)。
著書に『絶望読書』(河出文庫)、『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)、『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』(ちくま文庫)、『食べることと出すこと』(医学書院)、『自分疲れ』(創元社)。
編者を務めたアンソロジーに『絶望図書館』『トラウマ文学館』『うんこ文学』(いずれもちくま文庫)、『絶望書店』(河出書房新社)、『ひきこもり図書館』(毎日新聞出版)、エッセイ集に『口の立つやつが勝つってことでいいのか』(青土社)がある。NHK「ラジオ深夜便」の『絶望名言』のコーナーに出演中。
絶望名人カフカの人生論のまとめ
目次に目を通しただけで(えっ?)って思いますよね。
そんなにネガティブになる???というくらいネガティブ思考です。
私はつい最近までネガティブ思考はダメだと思い込んでいました。
けれども、そうではないと気づかされました。
生きていると常にポジティブになれることもありません。
ネガティブな感情を一度受け止めてそこで得られるパワーはポジティブな言葉よりぐっと入ってくるものなんだと、この歳になって分かりました。
作者がおっしゃるように、絶望している人に是非読んでいただきたい。
そしてそうでない人にも。
もっと早くに読みたかったこの本ですが、私にとっては今だから身体に染み込んでいく本になったのかもしれません。
私の人生にカフカとの出会いが出来た事で少し救われた気がします。
カフカの言葉であなたの人生が少しでも楽になる事を願っています。
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