コスモス50歳からの生前整理

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【針と糸】 小川糸 母親との確執を超えて気づく

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小川糸さんのエッセイ【針と糸】ようやく手にする事が出来ました。

ベルリンでの日々を穏やかに過ごす姿と母親への気持ち。

自分の気持ちに正直になってみることが大切だと思いました。

【針と糸】母親との確執を超えて気づく

図書館本でなかなか予約がとれなかったので【食堂かたつむり】と【小鳥とリムジン】を先に読んでいました。

 

この2冊を読んだことで満足し、本命の【針と糸】を予約していなかった事に気づき、ようやく手にしたのでした。

 

jibunnnoikikata.hatenablog.com

 

 

そうして作者のエッセイ【針と糸】を読み、「人生って悪いもんじゃないよね」と思える私がいます。

 

 

jibunnnoikikata.hatenablog.com

 

 

読みたかった【針と糸】の部分は、母親との確執について。

 

母親と娘は、どうしても衝突してしまいがち。

 

私も少なからずあります。

 

【針と糸】を読む前に、小川糸さんの小説を読んだ時、2冊共に母親との確執が原因で、トラウマを抱えた主人公だったので、実体験をもとに描かれたのであれば、なぜそうなってしまったのか?それをどう乗り換えたのか?

 

作者の思いを知りたくて手にしました。

 

【針と糸】

ふわり木の葉が舞うようにたどり着いたベルリン。

母との確執を越えて、気づいた「書くこと」の原点。

一針一針、希望の物語を紡いでいく。

生きることが心から楽しくなるエッセー。

デビューから10年、小川糸の<素顔>。

針と糸 | 毎日新聞出版

 

【針と糸】 

第一章から第五章まであるのですが、手紙が好きだという部分は私も同じで嬉しかったです。

 

学生時代、海外文通をしていた時の事を思い出しました。

 

当時、ポストに手書きの宛名を見つけると、嬉しくてたまりませんでした。

 

手紙には、手間だったり時間だったり、たくさんの「間」があって、ホッとする。

封を開けると、そこからその人の周りの空気がふわりと立ち上がってくる。その瞬間がたまらない。一文字一文字を心をこめて綴られた手書きの文字や言葉使いから、その方の人となりを想像するのが、また楽しい。時代の流れからいったら手紙は非効率的かもしれない。でも世の中から手紙という習慣がなくなったら、とても味気なくて寂しくなる。

 

私は特に第二章の「母のこと」と第三章の「お金をかけずに幸せになる」が好きです。

 

「母のこと」は作者の想いと、乗り越えた先の気づきを知りたかったから。

 

「お金をかけずに幸せになる」は私も同じ気持ちだから。

 

【針と糸】母のこと感想

卵焼き

お母さんが作ってくれる卵焼きが好きだった作者。

 

高校生の時にケンカをし、作ってくれたお弁当を目の前でゴミ箱に捨てたことがあるのだそうです。

 

今では娘としての気持ちと母親としての気持ちの両方分かるので、読んでいて複雑な思いでした。

 

誰もが避けられない反抗期や気持ちの思い違い。

 

作者はその事について後から悔やみ反省されていますが、私は母親に反抗する作者を当時から自分軸を持つしっかりした人だったんだなぁと思いました。

 

当時理想の家族というと「いつも笑顔の絶えない家族」でした。

 

私は「家族とはこういうもの」「父親」「母親」「子ども」はこうあるべきなのだ。と言われているようで、つい「言っても仕方ない」とか「自分さえ我慢すれば大丈夫」と自分の気持ちに嘘をついてきたように思います。

 

本当の理想の家族はお互いを尊重し「何でも意見を言い合える家族」なんだと思います。

 

作者の母親は、感情の起伏が激しく、自分のいう事は絶対だったそうです。

 

そしてその絶対は、昨日と今日とで違ったり、一度怒りのスイッチが入ると感情を抑えることが出来ず、子どもに暴力をふるったそうです。

 

食堂かたつむり」や「小鳥とリムジン」はこういった経験からうまれたんだなと思いました。

 

そんな母親を嫌い、距離を開けていた作者。

 

再会した時は、体が弱った余命わずかの母親でした。

 

不規則な仕事をしていた母親に会いたくて学校から走って帰る作者。

 

母親と交換日記をしていた頃や、寝ている時に母親が頬をくっつけていてくれていたこと。

 

愛情を上手に表現できなかった作者の母親の不器用だけれど、娘を想う気持ち。

 

誰かに愛されるというのは、誰かを愛すこと。

 

切なくなりました。

 

そしてその事に気づいた作者。

 

嘘をつく

40歳を過ぎるまで、私は母に追いかけられる夢をみてはうなされていた。理由ははっきりしている。幼い頃、母は逃げまどう私を追いかけて、手をあげたのだ。あの時の恐怖は、いまだに体と心の深い部分にしみついている。

 

恐ろしい記憶はいつまでも消えないんだなぁと思う。

 

やった方は忘れるけれど、やられた方は忘れない。

 

作者は実際に暴力を振るわれていましたが、それと同時に言葉の暴力もあるのだということを忘れてはいけないと思いました。

 

受けた側の気持ちはなかなか消えないものなんだと考えると、大人が何気なく発する言葉や行いで、子どもは、想像以上に傷つくのだということを心に留めておかなければなりません。

 

忙しさでつい後回しにしがちですが、相手が子どもだと、より真剣に話を聞かなければいけないなと思いました。

 

 

もしも自分が平穏な家庭に生まれ育っていたら、母親が暴力をふるうような人でなかったら、今、私はこんなふうに文章を書いて暮らす日々は送っていない。作家になど、なっていなかった。書く事を私に与えてくれたのは、母である。それが、母からの最大のギフトだと思っている。

 

辛い過去があったから今がある作者。

 

「家族」のあり方についても考えさせられました。

 

お互いに人として尊敬し、ある程度の距離を保ちながら接することが一番うまくいくのではないかと思っています。

 

ハリネズミのジレンマのような関係。

※お互いのぬくもりを感じつつ、針が刺さらないような距離を保つこと

 

たからもの

過去を消す事は出来ないけれど、前を向いて進むことはできます。

 

作者は母親との事を書く事で、乗り越えられたのだと思いました。

 

おそらく母は、自分のことを書いて欲しかったに違いない。

(中略)

そんな私が、母のことを書いている。母の四十九日が済むまで、母のことを話題にしてあげようと決めたのだ。四十九日の間は、まだ魂がこの世をさまよっているというから、もしかすると母も、この文章を読むかもしれない。これは私なりに考えた供養なのだ。

 

作者が母親からもらった「たからもの」は、物心つくまでの忘れかけた幼少期時代。

 

悪い記憶だけじゃなくて、そんな良い時代があったのだということに気づけたことに私も感動してしまいました。

 

なくしたものを嘆くのではなく、今てのひらに残っているものを、大事にして生きていこう。

 

感謝の気持ちを持つ。

 

お互いに言えなかった事、言いたかった事、たくさんあるけれど、今からそれを大切にして生きていく一歩はとても力強いように思います。

 

憂鬱な日

母親との確執で何が辛かったかというと、それ自体も辛かったが、それ以上にそのことを周囲になかなか言えないこと、理解してもらえないことだった。

 

こう感じている人は多いのではないかと思っています。

 

作者の場合は母親だったけれど、それが家族の誰かであっても同じ気がします。

 

人は頭では分かっていても実際に体験しないと、わからないことばかり。

なってみて初めて気づくものだと思うのです。

 

言葉でも文章でも自分の思いを相手に伝えることって、本当に難しい。

 

優しさと強さと

どちらかというと影が薄かった父親の存在。

作者は、父親の人生が幸せだったのか問うています。

 

父の人生は、幸せだったのだろうか。もし父が、早い段階で母と別れる選択をしていたら、父の人生も、そして私の人生も、違っていただろうと想像する。血縁というのは、時に厄介で、手ごわい。

絆にも、呪縛にも両方なりえる怖さがある。

 

家族の絆は強くもあり、怖い。

 

絆と呪縛、1つ歯車が狂ってしまうと誰もが陥るという事を覚えておいて欲しいと思います。

 

そして再生可能だということ。

 

気づいた時から修正すればいい。

 

そう思います。

 

自分の幸せと誰かの幸せ

最後に作者が瞑想されている、アルボムッレ・スマナサーラさんというスリランカ出身のお坊さんが提唱している瞑想法をご紹介します。

 

私が幸せでありますように。

私の悩み苦しみが、なくなりますように。

私の願い事が叶いますように。

私に悟りの光が現れますように。

 

私の親しい人たちが幸せでありますように。

私の親しい人たちの悩み苦しみがなくなりますように。

私の親しい人たちの願い事が叶えられますように。

私の親しい人たちに悟りの光が現れますように。

 

生きとしいけるものが幸せでありますように。

生きとしいけるものの悩み苦しみがなくなりますように。

生きとしいけるものの願い事が叶えられますように。

生きとしいけるものに悟りの光が現れますように。

 

私の嫌いな人たちも幸せでありますように。

私の嫌いな人たちも悩み苦しみがなくなりますように。

私の嫌いな人たちも願い事が叶えられまるように。

私の嫌いな人たちも悟りの光が現れますように。

 

私を嫌っている人たちも幸せでありますように。

私を嫌っている人たちも悩み苦しみがなくなりますように。

私を嫌っている人たちも願い事が叶えられますように。

私を嫌っている人たちも悟りの光が現れますように。

 

そして最後にもう一度、生きとしいけるものが幸せでありますように。で終えるのである。

 

最初に自分を持ってくること、そして自分が幸せになる延長線上に誰かの幸せもあるということなんだそうです。

家族

「家族」って自分が育ってきた「家族」しか見えません。

 

何が正解で何が不正解なんて誰にも分からないことです。

 

本当の家族というものは、自分の意見を押し付けるのではなく、お互いに思っていることを言い合って、子どもであっても、意見を尊重し、お互いのルールを作ることで理想の家族というものが出来上がるのではないのかなと気づけたら、生きることが楽になり、「人生って悪いもんじゃないよね」と思えるんだと思います。