
「行ってきます」から「ただいま」まで。
大切な人たちが、家に帰ってくるとホッとします。
朝出かける大切な人の姿はその時にしか存在しないと思うと、とても愛おしく思います。
足腰が悪くなると
※すべて私の経験を基に、旅先や知人の話風景などを交えて、再構成したフィクションになります。
歳を取ると足腰の力がなくなる人がとても多いと感じています。
一日中座ったままで運動をしていないから、便が出ないのも当たり前。
毎回血が出ると大騒ぎ。
「おかえさん(お粥)食べてないからや」とはじまるそうです。
家事が出来ない
ある80代の男性は家事をしません。
しようとしたこともなく、妻もまたしてもらおうとせず、ここまできてしまいました。
何事もそうですが、何でも若いうちからやっておかないと、いざという時(家事をしている人やお世話をしてくれる人)がいなくなった時、困るのは本人なのです。
妻は時々友人たちと出かけます。
そんな時は、夫の昼食を作っておくそう。
その日はコロッケを温めるだけでいいようにしていたら、夫は「自分で揚げやんでいいーんやな」とあたかも自分が揚げ物が出来るように言うのだそうです。
今まで天ぷらなんかあげた事もないのに。と女性は言っていました。
気の持ちよう
作業療法士:「〇〇さん、筋力もあって若く見える〜。何歳の方?」
ケアマネ:「82歳やよ」
ケアマネたちのやりとり話が聞こえた男性。
耳が聞こえにくいという割りには以外と聞こえているようです。
自宅に帰って妻に報告。
夫:「オレ若く見えるらしい」
妻:「あんたの事違うのとちゃう?」
男性は次の日から服装に気を遣うのでした。
なんてことない会話ですがケアマネのやり取りで、男性は身支度に気を遣い、頑張ろうと思えるんだなと思いました。
そんな夫婦ですが、共に夕ご飯を食べてる途中寝たりして、気づいてお互いに失笑。
何十年も共に暮らしていると、周りからは理解出来ない何かがあるのでしょう。
きっと、彼らはお互いに支え合って暮らしているのだろうと思いました。
もっと死について話そう
ある女性が親の死後に残されたのは、何もかもがグチャグチャになった自宅でした。
なにから手をつけていいのか分からないまま、家の片付けから相続まで全てにおいて中途半端だった親に対する感情は、怒りしかありませんでした。
実家の片付けに悩む姿は、他人事ではありません。
女性のように残された家族の負担を事前に少しでも減らすことが出来るなら、その方法を元気なうちに知っておいて欲しい。そう思います。
両親のこと
周りの老人を見ていると心配性の私は、何でもないことまで悪いようにみてしまいます。
例えば、ちょっとしたことを忘れるなんて誰にでもあることなのに、両親がそうなると、(あぁ、やっぱりよくないのかな)と思ったりとか。
近くに住んでいるから、あれも見よう、これも見ようとしすぎてしまっているのかもしれません。
あるある
父が転倒しかける。
「うわっ」と声をだす。父ではなく私が。
「どうしたん」と母。
「だいじょうぶ、ちょっとつまづいただけ」と父。
「私いてなかったら、ぜったいこけてたよね」そんな会話。
高齢者が転倒して、骨折⇒寝込んでしまう⇒そのまま寝たきり。
このパターンが一番危ないよなって考えて、不安になってしまう。
物の処分
2台あるうちの扇風機。
まだ使えるのにもったいないなという両親。
いや、首を振らなくなっている扇風機は使えるとは言えへんで。
実際にためしてみたら、本当に首を振らなくなっているし。
動きはする。けれど首は降らない。
そこでずっと左胸に扇風機を当て続けていると、亡くなってしまう可能性があるという話をする。
そうしたら、ちょっとわかった気になってくれる。
長生きはしたくないな。
それよりも、いつ死んでも悔いがない生き方にしたい。
人には必ず寿命がある。
私は知人や両親、家族との何気ない会話や日常を楽しみたい。
何気ない日常生活だけど、大切にしたい。
それが私の一番の幸せだから。そう思うのでした。