
老いると転倒しやすくなります。
足腰も弱っていきます。
転倒してしまうと入院になりお金もかかり、心も疲れてしまいます。
共に何十年と連れ添った夫婦のどちらかが入院した時、心配になるのが認知症だと聞きました。
入院
※すべて私の経験を基に、旅先や知人の話風景などを交えて、再構成したフィクションになります。
普段から足腰を鍛えようとリハビリをしていると、ちょっとした事で物を持って歩いたりできるかもしれません。
けれども、日常生活でいつも座っているだけだと、そのちょっとした物を取る事が転倒の原因になるのです。
毎日の積み重ねはとても大事だと知人を見ていると思うのです。
腰椎第一圧迫骨折で入院になった80代知人男性。
要介護3です。
男性は普段から自室に座ったままテレビを見るだけで、訪問リハビリに来られた時だけ歩く練習をするといった感じ。
一方妻の方は、男性と同じように過ごしていると、要介護の認定がおりるくらい。
けれど足が痛くてもこれ以上他人に迷惑はかけたくないという気持ちと、自分の事は自分でやりたいという気持ちがあって、普段から自分の足で歩くようにされています。
もしかすると男性は、頭のどこかで「自分はまだ大丈夫」と思うところがあったのでしょうか。
それとも、いつも自分だけ動けないということに申し訳なさを感じたのでしょうか。
そういった考えからか、誰かが来られた時に、普段動くことのない動きをしたことによってバランスを崩し転倒を繰り返すように。
病院のレントゲンでは分からなかった、CTで確認すると見えた腰にヒビが入ってるのが分かったのでした。
立体で見る画像はリアルで骨というより木の幹に見える背骨。
そのため前かがみになりにくく、後ろにも反れない。
その状態からバランスを崩し尻もちをつき骨折し、そのまま入院となってしまったのです。
衰えていく姿を
男性は約2か月の絶対安静。
一番心配になるのは、安静にしていることによって歩けなくなってしまうこと。
寝たきりの状態になること。
そして何より、頭脳面での衰えが進むということ。
80代ともなり人生の終わりが近づいたとき、人はどんな風に最期を迎えるのか。
深く考えさせられます。
自由ということ
自由というのはどういう事をいうのだろう?
社会と関わりを持たず生きていける人はいません。
老いても何かしら社会とつながり、違和感を感じながらでも、上手に社会と交じりあいながら、自分自身をお世話出来る人を自由人といえるのかもしれません。
【棺桶まで歩こう】を読んだら自信がついた理由
本にも書いてありましたが日本では、人は必ず死ぬのに、死についての話をするのがタブーとされているということ。
死について考えていないと、話しができません。
生きている間に、どんなことをしたいのか、お葬式の事なども含めて、もっと話し合うことが大切だと思うのです。
死に対して逃げてばかりいても死は必ず訪れるので、余計に恐ろしい。
逃げてばかりせずに、死ともっと向き合えば、自分がどうしたいのかが見えてきます。
私は夫とも、両親とも、友人とも生きている間に終末期のケアについて話し合っています。
看取りや最期のケアを全く知らない行政に任せきりにはしたくないから。
勿論、出来ない事は助けてもらう、プラス親しい友人や家族と死について話し合い、いざというときに手助けしてもらえる体制を取りつつ、自分でやって欲しいことを書きとめたり伝えたりすると、良いと思うのです。
それは年齢関係なく、たとえ若い人であっても、身近な人を亡くしたときに頼れる人や場所があることは大切です。
少しの社会とのつながりと、親しい人ほどコミュニケーションの大切さ、自分がどうしたいのかを大切に普段から自分で考えていくことがとても大切だと思っています。
【棺桶まで歩こう】を読んだら多くの方が、「思いを伝えられなかったではなく、想いを伝えられてよかった。」と書かれてありました。
私自身がやっていることに自信がついて、今後も自分を信じて前に進んでいこうと思いました。